四街道という駅名の起源 by 白土貞夫(鉄道友の会理事)
マイル・ストーン、つまり「北成田山道」「西船橋東京道」「東とうがね馬渡道」「南千葉道」と刻まれた石の道標の建つ四つ角が、四街道の地名の起源であるという。
そしてこの道標が、明治14年12月に建立された頃に四街道の名が俗称として使われ始めたといわれている。
『四街道市勢要覧'86』によれば、それ以前にこの付近に開局した畔田郵便局が明治13年4月20日に四街道郵便局と改称したことがその根拠になっているらしい。
ところが、私が勤務した四街道郵便局所蔵の『沿革史』には開局は明治34年2月と記載され、先の郵便局の業務を引き継いだとは全く書いてない。公的機関が四街道の名称を冠した最初だけに明確でないのは残念だが仕方がない。
それ以外の記録としては、明治13年(印刷不鮮明で15年とも読める)測量の第1号軍管地方迅速測図『下志津村』に描かれているあの四つ角付近が、畔田村「字四街道」と記載されているので、明治10年代前半に地名が起こったのは確かなようだ。
小さな字名が市名にまでなったのは、明治27年12月9日総武鉄道が、ここに四街道駅を設け、以後この駅を中心に町が発展したからである。
photo by 四街道市観光ガイド
旭村と千代田村が自村へ駅の誘致合戦を繰り広げた結果が、両村の境界に跨って駅が設置され、駅名も村名でなく、最寄りの字の俗称が採用されたのである。公式に字名として四街道が使われたのは昭和11年。町名になったのは同30年3月10日であるのはご承知のとおり。
駅名が違えば四街道市にはならなかったかも知れない。
物井駅の移り変わり by 白土貞夫(鉄道友の会理事)
| 物井駅の歴史を調べると意外に古いのに驚かされます。実は前身の信号場開設は明治年間なのです。 「そんなことはない。国鉄時代発行の『停車場一覧』という国鉄全駅の開業年月日を書いた本にも、昭和12年4月5日開業と書いてある」 という方もいらっしゃるかも知れません。実は総武本線は、千葉から西側の複線化は、明治41年に完成しましたが、千葉−佐倉間は、それから70年も過ぎた昭和43年3月28日のことでした。 そのためにかなり以前から、千葉−佐倉間は、物井と都賀を信号場として列車の交換、行違いができるようにしたのです。 |
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![]() 木造時代の物井駅舎 |
当時はもちろん全部がSL列車。 しかし昭和11年に千葉−成田間にガソリンカー(当時は現在のようにディゼルカーではなく、ガソリンエンジンによって運行していました)が運転を開始すると、たった一両で走るため、短いホームだけ造ればよかったので、ガソリンカーだけが停車する駅が数多く新設されました。その一つが物井駅です。 開業日が小学校入学の日であった四街道市栗山に住む前四街道千代田郵便局長・楠岡巌さんは 「地元に駅ができたのが嬉しくて、暇さえあれば駅へガソリンカーを見に行きました。ポアーンという汽笛が忘れられません」 と話してくれました。 |
| 当時は田圃ばかりであった駅の周囲も今日では、住宅が建並びすっかり変容しました。しかしまだ緑濃い景色が残っていて下り列車が、四街道を過ぎると何故かホットするのは私だけではないでしょう。 この風景をバックに快走する成田エクスプレスや特急しおさい号の撮影場所として、鉄道ファンには人気の的。随分遠くから来て物井駅で下車する人も多いようです。なかには古い物井駅の建物と列車を入れて素晴らしい写真を写す人もいます。 地域の発展により、物井駅の駅舎も近く橋上駅に生まれ変わると聞きました。立派な駅になるのは嬉しいことですが、単線時代には腕木式信号や線路のポイント切替えの操作小屋であった上りホームの待合室も、今は珍しい「両国方面」の看板とともになくなるのは淋しい気持ちです。せめて追憶のなかに残そうとカメラ片手に休日には、駅周辺を歩く最近の私です。 |
マイル・ストーン近影

注意していないと見過ごしてしまうかも知れません。
運転しながらだとアブナイかも……。
鎌倉〜室町時代の館跡の残る、吉岡地区の福星寺には、樹齢360年の枝垂れ桜が春毎にあでやかな舞い姿を披露してくれます。
(四街道市観光ガイドより)
PHOTO by
四街道市観光ガイド
| 総合公園は、昭和61年に野球場がオープンして以来、施設も次第に増え、今では体育館、多目的運動場やキャンプ場などの人気施設もでき、市民の健康と憩いの場になっています。 芝生の広場やアスレチックなどの遊戯施設なども整備されていて、休日にはお弁当持参の家族連れの姿も見られます。
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![]() 総合公園 空撮 PHOTO by 四街道市観光ガイド |