大土手山(ルボン山)
市役所からほど近いところに、小高い丘があります。本通りから少し入った所なので、つい見落としてしまうかも知れません。この丘は、大土手山あるいはルボン山と呼ばれています。
この付近は幕末に佐倉藩の砲術練習所であった所で、その後、明治19年にフランス砲兵士官ジョルジュ・ルボンの協力を得て砲兵射的学校が設置されるようになりました。
そのとき設けられたのがこの「射的築堤」で、ルボン山と呼ばれるようになりました。いま、周辺には町並みが広がって昔の面影は全くないものの、ここに登って周囲を見回すと広大に広がった原野を彷彿とさせます。
1996.4
つい先頃まで、畑や田圃が広がっていた『めいわ地区』は、宅地造成によって、広大な住宅地に変わろうとしています。この新しい町並みを貫くメイン通りの両側に、四街道の木、桜をイメージしてデザインされたガス灯の列が続いています。水銀灯や蛍光灯と違って、なんとも心和むものがあります。ただ残念なのは、いつでも全部が点灯されているとは限らないようで、たまに全部が灯いているのに出会うと、すっごーく得した気分になります。
1996.3
のどかな広々とした牧場でたくさんのホルスタインがのんびりと草を食んでいます。これも我らが四街道市の顔のひとつです。
享保13年(1728年)将軍徳川吉宗が、いまの安房郡丸山町にインド産の白牛3頭を放牧した。これが日本酪農の始まりと言われています。
このことから、千葉県は「酪農発祥の地」とされ、今でも生乳の生産量が北海道に次いで全国2位を誇っています。
四街道市では9件の酪農家が、600頭あまりの乳牛を飼育し、酪農千葉県の一端を担っています。
1996.2
JR四街道駅から500メートルほどの所に市名の由来となった「四街道十字路」があります。そこには小誌の題字にもなっているマイル・ストーン、つまり石の道標が佇んでいます。
その脇に一本のエノキが凛とそびえています。高さ15m、幹回り3.2mの巨木です。樹齢は不明ということですが、その昔、堀田公が参勤交代の折り、ここで休息をとったと伝えられています。
エノキは一里塚の役目も果たしたということで、この木の下に立つと、疲れをいやす旅人とその傍らで馬が飼葉食んでいる姿が思い浮かびます。今、ここにガソリンスタンドが設けられ、現代の馬(車)の餌場になっているのは奇縁ですね。
1996.1
(近影はこちらへ)
町の周辺に広がる畑地に忽然と現れる異様な風景。これは「ボッチ」と呼ばれるもので、秋から冬にかけての北総地域の風物詩として知られます。
落花生は、県内生産量の3割を印旛郡市が占め、四街道も大きく貢献しています。ブラジルが原産といわれる落花生。県内では、明治の初めに栽培されるようになり、気候風土に合ったこともあって、急速に発展しました。そして、現在、千葉県はダントツ。日本一の生産量を誇ります。
晩秋ともなると、新豆が酒の友となって食卓を飾ります。
1995.12
四街道駅の北側一帯を歩いてみると、実に松の木が多いのに気づきます。中には幹回りが2メートルにもおよぶ巨木も見られます。
これらの松の木は、明治の中頃、この付近が旧陸軍の施設として整備されたときに植えられたといいますから、樹齢は優に100年を越えます。
中でも見事なのは、駅から北方へ伸びるメーン通りの両脇に並木を形どる松で、四街道のシンボルにもなっています。
1995.11
JR四街道駅
ガラス張りのしゃれた、この橋上駅は、四街道が市政を施工したのと同じ年、昭和56年の完成です。今は通勤通学客を中心に1日およそ3万人が利用しています。
駅前広場が整備され、市民の憩いの場となっていますが、実はこの地下に大量の水が蓄えられ、いざという時の防災に備えているということはあまり知られていません。
ともあれ、一番電車が走る朝5時。これから迎える喧噪がうそのように、静かなたたずまいを見せています。
1995.10